拓海広志「『闘論2000年の埋葬』に寄せて」

 『闘論2000年の埋葬』は栗本慎一郎氏と田原総一郎氏の対談ですが、この中で栗本氏は、天皇制は古代に対立していた縄文勢力と弥生勢力の妥協の産物であり、渡来人である弥生人は縄文の首長をそのまま天皇として奉りつつ、統治システムは自分たちが持ち込んだものを採用した可能性があるという興味深い仮説を述べています。


 それ故に天皇は弥生の中心に居座りながらも、常に日本文化の基層部を担い続けた縄文とも直結しうる両義的な存在になったというのですが、栗本氏はこの説をさらに敷衍し、日本人の政治的な意思決定の曖昧さは、縄文と弥生の妥協の産物として天皇が生み出されたことに由来するとも語っています。


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 拓海広志『天皇と自然(2)』


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