拓海広志「『ナマコの眼』に寄せて」

 『ナマコの眼』はとても平易に書かれた、誰が読んでも楽しめる本ですが、本書には鶴見良行さんの思想や世界観が凝縮されています。


 本書においてナマコとは直叙でもあり、隠喩でもあります。ここで語られているのは紛れもなくナマコの話なのですが、海底に横たわるナマコは「目立たぬもの」「重要視されぬもの」「忘れ去られたもの」「辺境・周縁に位置するもの」の隠喩でもあり、『ナマコの眼』(ナマコには生物器官としての目はない)というタイトル自体が、<辺境・周縁>から物事を見てやろうという鶴見さんの意思表明なのです。


 鶴見さんは「<辺境・周縁>へのアプローチという作業は、タマネギの皮を一枚一枚剥いていくようなもので、どこまで剥いていってもキリはなく、またそれによって事物の本質に迫れるといったものでもない」と語っていますが、それはその通りで、<辺境・周縁>を探求したからといって簡単に新しい歴史観や世界観を獲得できるわけではありません。


 ただ、中央中心主義的な歴史観、世界観を相対化し、その全体像をつかむためにはこうした地道な作業は不可欠なのであり、鶴見さんは「今は焦って無理に大きな理論や物語を語るべき時期ではなく、これまで見落とされていたものを丹念に拾い集めながら材料を揃えていくべき時期だ」とも語っていました。


 とは言え、そんなふうに<辺境・周縁>の地を巡りながらも、いつの間にか新しい世界像を作り上げてしまうのは鶴見さんの視野の広さと筆力によるものであり、そこには緻密に練り上げられた戦略もあるように思われます。多くの人に読んでいただきたい本です。


 ※関連記事
 拓海広志『『ナマコの眼』を読む』


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


Link to AMAZON『ナマコの眼』

ナマコの眼

ナマコの眼