拓海広志「『死生観の誕生』に寄せて」
日本語の「自然」には「ジネン」「シゼン」という二通りの読みがありますが、中世において前者は「自ずからそのようにあらしめること」(必然)を意味し、後者は「まさかのこと」「万一のこと」(偶然)を意味していたと言います。
中世日本の「ジネン」思想の極南が親鸞の自然法爾だったとすれば、「シゼン」思想の極北は修験道だったように思います。
大野順一氏は著書『死生観の誕生』において、「ジネン」と「シゼン」は読みは違っていても、そこには突発的な不慮の出来事さえ「自然」のことであるとし、それによる死をも「自然(自ずから)」のこととして受け入れる日本人の自然観があると語っています。
自然を万一のことと受けとめる感受性には自然から疎外された人間の姿を見ることができますが、人間はその万一との出会いを己の唯一の場であると了解し、万一のことをも「自然(自ずから)」と捉えることによって、再び自然と合一しようとします。
死生観は自然観と表裏一体をなすものだと僕は考えているのですが、「ジネン」と「シゼン」の間を行き交いつつもそれらを融和させた日本人の自然観は、そのまま日本人の死生観にもつながっていったのかも知れません。
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拓海広志『人間にとっての表現(1)』
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