拓海広志「『青空がぼくの家』に寄せて」

 インドネシア映画の名作と言えば、僕はやはりこの作品のことを思います。『青空がぼくの家』(1989年)はスラメット・ラハルジョ・ジャロット監督の作品で、名女優クリスティン・ハキムも制作に加わっています。学校へ行くことができず廃品回収などをして家計を支える少年と、富豪の家に生まれて何不自由なく育ってきた少年の間に芽生えたささやかな友情の物語なのですが、80年代後半のジャカルタの街の情景が見事に描き出されていて泣けてくる、とても美しい映画です。


 僕は学生の頃にバックパッカーとしてオーストラリア〜東南アジア各地を1年ほど放浪したことがあり、そのときにもジャカルタの友人宅に居候したり、インドネシア各地をバスで巡ったりしました。また、その後4年間ほど仕事でジャカルタに駐在していたときにも、少しでも時間が作れればバスやべモを乗り継ぎ、ロスメン(民宿)に泊まりながら各地を旅してきました。


 地方に行けば人々の貧富の差はそう大きくありませんし、仮にそれがあったとしても「オラン・ブサール(大きな者)はオラン・クチール(小さき者)に富を与え保護する義務がある」というジャワ的な社会思想は多かれ少なかれインドネシア各地の民族にもありますので、その差は大きな問題とはなりません。それが問題となるのはジャカルタという大都市においてであり、民族を超える「公」という概念が育たぬうちに、貧富の差による階級社会が形成されていることがその解決を難しくしています。


 『青空がぼくの家』は貧富の差が拡大したスハルト時代後期のジャカルタの社会状況を背景とする映画なのですが、ジャロット監督は決して拳を振り上げて社会正義を訴えたりはしません。彼はジャカルタの人々の日々の暮らしや子供たちの姿を優しい眼差しでとらえ、それをただ淡々と描いているのです。しかし、それはアジア的な諦念なのではなく、彼が子供たちに託そうとしている「希望」の表現のように思えます。


 その後、90年代に入るとインドネシアの社会状況は大きく変わり、ジャカルタには新興中間層が台頭してきます。彼らが社会のマジョリティーになるにつれて、インドネシアの映画や文学でも恋愛と遊びに明け暮れる若者たちの姿が多く描かれるようになり、それだけを見ていると『青空がぼくの家』で描かれたような貧しい世界は消えてしまったかのような錯覚に陥ります。しかし、こうした新興中間層は富者の仲間入りを目指しているものの、「公」という概念を形成しようという意識は乏しく、貧富の差による階級社会は未だにジャカルタに強く残っています。


 皆さんもどこかで機会があれば、是非この映画をご覧になってみてください。きっと日々を精一杯生きる少年たちの友情にふれて、清々しい気分になれると思います。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



ジャカルタで僕が住んでいた家の近所にて】