拓海広志「『シェエラザード』に寄せて」

 太平洋戦争の結果として日本の商船隊が保有していた船は500トン以上のクラスで2,259隻が失われ、35,092人の船員の命が奪われました。支那事変からの8年間で見ると戦没船員の数は60,331人になります。


 当時の日本人船員の死亡率は陸海軍人の死亡率を遥かに上回る43%にも達しますが、これは日本政府・軍にシーレーンを守るという発想がなく、軍に徴用された商船が丸腰のまま物資輸送のために敵艦隊が待ち受ける海を独航せねばならないという異常な状況に置かれがちだったためです。


 そんな中でも特に悲劇的だったのは、日本軍占領地帯にいる連合国軍の捕虜に救援・慰問物資を送るべく連合国側から安導券(Safety conduct:安全航行の保障)を与えられた貨客船「阿波丸」が、緑十字旗を掲げて航行していたにもかかわらずアメリカの潜水艦「クイーンフィッシュ」の魚雷攻撃で沈められた事件でしょう。


 浅田次郎さんの小説『シェエラザード』はこの「阿波丸撃沈事件」を題材にしたものですが、小説の中での船は「弥勒丸」と呼ばれています。


 物語は戦争中の「弥勒丸」を巡るドラマと、海底に沈んだ「弥勒丸」を引き揚げるために奔走する現代の人々のドラマを並行させてスリリングに進みます。そして、それぞれの状況において様々な人の思いが錯綜する中で、「弥勒丸」は時代を超え、誇りを持って美しく生きることの意味を人々に問い掛けてきます。僕にとっても思い入れが強く、是非多くの人に読んでいただきたい作品です。


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